「C=C」って‥
つまりは成果主義ということだが、「C=C(Contribution = Conpensation)」が働いている会社の処遇のポリシー。実際は、とても難しい。日本は年功序列と終身雇用があたりまえだったが、最近は違う。そのため、個人と会社の関係も変わってきた。その中のひとつに「成果主義」があるが、measurable でない仕事の場合は、非常に評価しにくい。だから、一番大切なことは「信頼関係」。これが築けなければ、何も始まらない。
つまりは成果主義ということだが、「C=C(Contribution = Conpensation)」が働いている会社の処遇のポリシー。実際は、とても難しい。日本は年功序列と終身雇用があたりまえだったが、最近は違う。そのため、個人と会社の関係も変わってきた。その中のひとつに「成果主義」があるが、measurable でない仕事の場合は、非常に評価しにくい。だから、一番大切なことは「信頼関係」。これが築けなければ、何も始まらない。
出張でロンドンと上海に…
久しぶりのロンドンは紅葉の季節(あまりいい写真は撮れなかったけど)だった。東京よりもかなり寒く、お天気もいまいち。同僚の女の子といった飲茶レストランはとっても繁盛していて、遅い時間になってもかなりの行列。私は風邪気味で熱っぽかったけど hot & sour soup が効いたかも。翌日は少しラクになっていた。
上海も冬っぽいどんよりした空と冷たい雨。今年の8月に行ったときと違った印象だった。上海は高層ビルの一角に昔の建物が突然現れる不思議な街。いちばん不思議なのは歩道にイスを出して座っている人がいること。お昼は飲茶「ZEN」でランチ、夜は日本食+ワイン。帰国便が早かったため寝不足で空港へ。前回も思ったけど、上海の高速道路は事故に合いそうな勢い(怖)
組織や運営方法を見直すための「改革プロジェクト」が動き始めた。これまでの問題提起や提案はみんなお蔵入りだったが、今度こそ改革が進む。まるで圧縮されていた真空パックを開けたかのように、先送りしてきた課題が噴出中。全員がハッピーな改革なんてあり得ないわけで大変だと思うが、きっと学ぶことも多い(といいな)。
いつの間にかメールは生活に欠かせないものになり、voice でのコミュニケーションを上回る存在になった。とっても便利だけど、個人的には弊害もあると思っている。メールを出すと「必ず相手に届く」ので伝わったつもりになってしまいがち。だからこそ、返事が遅かったりするとネガティブに妄想してぐるぐるになっちゃう人がいる。だから、すぐ近くの席に座っているのなら、メールで仕事するのはやめたほうがいい。fece-to-face でもなかなか意図が伝わらないのにメールだけで完璧に伝わるはずがないから。
東京ビックサイトで開催されている「エコプロダクツ展 2006」に行ってきた。このイベントは今までにない感じ。年配の方から小学生まで、製造業から地方自治体、金融まで、来場者も出展者もレンジが広い。業界クローズなイベントはたくさんあるが、エコプロは一線を画している。それにエコロジーを意識することは「よいこと」であり、結果的に「経済的価値」にもつながる。でも何より子供たちが楽しげに各社のブースを回って体感している姿がとてもいい。いつもならぐったりして帰るイベントも、エコプロなら少し疲れても笑顔で帰れる気分。
今年も少し早めに年内の営業を終了。慌しい1年だったが、最も印象的だったのは緊急入院&自宅療養中に自分の組織とポジションが変わっていたこと。「会社人生ってそういうもの…」と笑ってしまう。5月からは気温の上昇と共に忙しくなり、そのペースを維持したまま今年も終わり。後半は自分にしては珍しくやや気力不足に陥ったけど、「人」についていろいろと学んだ1年だった。来年は(と、言うとずっと先のことみたいだけど、もう来週のこと)どんなふうに働こうかと考えてみたが、やはり「自分にできることから着実に、少しずつ確実に」これしかない。
1月中旬には新オフィスへの移転もあるし、気分を新たにスタートをきらなくちゃね。
明日から久々の仕事。すっかりボケてしまった。ケジメのない暮らしはいけないと思い、今回のお休みでは仕事と距離を置くためメールを取らないことにしたからだ。体内の会社時計を合わせるためにも、明日は早く出社しようっと。
仕事始めにあたり、自分のために世阿弥「風姿花伝」の一節を;
「強き稽古、物数を尽くせよ。工夫を極めよ。これらのことども、心底に当てよ。花を知らんと思わば種を知るべし。花は心、種は態なるべし。」
さて、今年はどう働こうか…
久々の宿泊研修に参加した。マネジメント系ということで、テーマは「企業を支える人材」「コーチング」「コンピテンシー・インタビュー」、そして「360度評価(自分で自分を評価したものと自分のグループのメンバーが評価したもののギャップをみる)の分析」があった。いくつかのロールプレイも行ったけれど、やっぱりテクニックに走ったコミュニケーションには限界があるもの…そこには「心」がないとね。
そして、企業を支える人材とは「セルフマネジメントできる人材」だそうだ。この人材の比率を半数近くまで上げていくことが、企業の競争力強化につながるという。「セルフマネジメントできる人材」の説明があったが、ひとことで言っちゃうと「ひとのせいにしない人」のこと。
先日、前の会社の同僚と会う機会があった。十数年たって初めての再会はとてもにぎやかで楽しいひと時だった。昔のエピソードは笑えることばかり。そして何より、みんな本当に変わっていなかった。
帰り道、前の会社の「強烈な社格」を思い出した。それは、どんなに時間がたってもアタマやココロの中に刻まれているものなのだ。風通しがよく、成果が割ときちんと評価され報酬として返ってくるカルチャーだったその会社は、いつもなんだか活性化していて、たとえつらくても笑いにあふれ元気だった(確かに若さもあったとは思うが…)。日々の仕事をこなしているとすっかり意識下に入ってしまっているけど、今の私にも新卒で入社した前の会社のDNAが息づいている(はず)。
仕事の会話における「間合い」は難しい。相手の話と呼吸と自分の話したいことのベストタイミングを図りたいと思うのだが、たいていの場合逃してしまう。特に「弾丸トーク」にはかなわない。でもひとつだけ、小ワザを発見した。弾丸トークだったり声が大きすぎる人と話すときは、声を小さめにしてゆっくり確認を取りながら話すこと。そうすると、弾丸度や声のボリュームが少しダウンする。
「家電業界はデフレで利益がでない産業になった」とある時期言われていたが、そんなこともないと思う。特に最近の白モノ家電は高付加価値な製品も多く、単価も上がってきている。うちのダイニングテーブルの上の PH ランプがずれた位置になっていたのが、ずっと気になっていた。先日、それを解消しようとヤマギワへ行ったら、写真のような構造物をすすめられた。ねじなどは一切必要がなく、それなりにきちんと機能する。お値段は約8000円…利益率が高そう。こういう地味だけど必要なものこそ「cash cow」 。
コードのねじれ矯正のため、うさぎを載せてみた。
汐留地区に「イタリア街」ができた。個人的には「なぜここにイタリアなのか」とっても疑問だが(私なら江戸の町にしたと思う)、まぁそれはいいとして…仕事の一環で、クリエイティブセンターのオープニングパーティへ行って来た。印象としては「まだまだこれからかな~」という感じ。あまり強く心に残るものは今のところなかった。Vespa の展示はかわいかったが。きっとこれから企画展・セミナーの開催やコラボレーションの企画などをするのだと思うけど、それにしてはロケーションがやや不便か。それとヒールがだめになってしまう「石畳風の歩道」はいただけない。やっぱり街づくりは男子チームでやっているのね。女子がいればきっと反対したもの。
毎年4月に開催される通称「ミラノ・サローネ」に絡む仕事で出張。写真は展示の一部。ミラノは気温が高く、まるで初夏のようだった。この期間は街のあちこちでデザインを切り口にしたイベントが行われる。昨今では、レクサスをはじめ、日本企業も多数参加している。個人的にはスワロフスキーの展示が最も印象的だった。やはり私は「ひかりモノ」に弱い…かな。
500年かかって造ったというDuomo は修復中。ステンドグラスも色鮮やかで美しい。ケルンの大聖堂などもそうだが、「荘厳」という言葉が合う建造物。
帰国日に空港に行く前の少しの時間使って立ち寄った「Corso Como」というセレクトショップは街の中心地から少し外れたところにある。センスよいものがたくさん。LA の Barneys や NY のHenri Bendel にちょっとだけ通じるものが。でもここのほうがグリーンや自然光など、癒され気分でショッピングできそう。
あっという間に4月が終わった。出張やアニュアルコンファレンス、その他の業務に追われて時が過ぎた。昨年からアウトプットし続け、全身疲労感で迎えたGW初日。4月は組織変更に伴い、オペレーションも見直された。来月はインプリと改善を早いサイクルで進めなくちゃ。瞬く間に上期が終わってしまうから…
まずは明日からの1週間でリチャージして元気を取り戻さなくちゃね。
会社ライフでは「人にとっての価値って…」など折に触れ議論を重ねているが、いい例が。やはり来たのだ、医療のシフト。サプリ市場が1兆円を超えた数年前から来ると思ってた。
○ホリスティックというのはうなずけなくもない「統合医療ヴィレッジ」:
http://www.im-village.com/
○未知の世界だがややコワイ「ハートリークリニック」:
http://www.heartly-clinic.jp/
○かなり大御所感のある「恵比寿アンチエイジングクリニック」:
http://www.aa-clinic.jp/
「新しい価値」ってたぶん「切り口を変えること」。新たな側面はこれまでと異なるメッセージを語る。医療ビジネスの世界も10年後は様変わり?
なんだか心底疲れた…情けないことにアリナミンのCMソング「♪なんだか泣けてくる~、思わず泣けてくる…」が心に響いてしまうのだ。
誰にでも平等に与えられた「1日24時間」。私は7時間、最低でも6時間以上寝ないと使いモノにならないので、それをひくと残された時間は17時間くらい。さらに通勤、お風呂、家事、朝食&夕食をひくと「12時間」。会社には平均で10時間以上はいるし、多忙なら12時間超えも。これじゃ、1日があわただしいはず。それに…ほとんどが時間に追われる「アウトプット」の時間。「インプット」のない暮らしはキツイ。だけど「自分へのインプットを求め自己啓発しよう」とかいって、何か入れると破綻しそうだし(数年前、資格を取る勉強をしてかなり追い込まれた暮らしになった)。
インプットが無理なら「チャージ」くらいはしないとね。
夏は納涼盆踊り大会が定番。準備担当の人々は炎天下の中、やぐらを組み提灯をさげ、食べ物の下ごしらえをし…と大忙し。夕闇のころ、人々が集まりだし、いつのまにか賑わって盛り上がる。今年も家の前の公園は盛り上がっていた。「ナントカ音頭」や「炭坑節」の流れる中、踊ったり食べたり遊んだり…ゆるい距離間なのだが不思議な一体感があり、一定の役割分担がなされている。この文化は日本独特なのかなとつくづく思う。会社も難しく考えるより、「ナントカ音頭」でも作って、みんなで歌って踊ればナイスチームになれるかも。
ちなみにうちの町内のオリジナル音頭のサビは「♪ 歌ってぇ~、踊ってぇ~、鐘が鳴るぅ、ぱっと笑顔の花がァ咲ぁく~」。
思いがけず3週間を超える入院生活強いられている。退院後もフルスイングとはいかないようで、今年の秋~年末はおとなしく過ごさなければならない。年間を通じて最も好きな季節なだけに病室の窓から外を見る毎日はかなりつらいものが。そして、病院の食事を食べ続けている間に栗や松茸の旬も終わっていく…。唯一救われたのは「フレッツ光」をひけたこと。おかげで会社へのネットワークにアクセス可能になり、完璧な浦島にならずに済んだ。
さて、会社中心の暮らしから離れて思うのは、毎日仕事ばかりしていた私は「ちょっと偏っていたかな」ということ。6時起床、21時消灯、規則的な食事、ふだん接することのない人々と接する暮らしをしているとなんだか世の中が違って見えてくる。ふだん観ることのない日中やゴールデンタイムのテレビでは「番組が面白いかどうか」ということではなく、「こういう内容が放映されているのだ」ということに感心したりした。そして、時には窓の外を眺めながら「本当に大事なことって何だろう」と考えてみたりして。
この入院生活がクールダウンのよい機会になったと信じたい。
4月2週目からしばらく仕事を休む予定なのだが、ちっとも準備が進まず…気づけば間もなく2月も半分終わってしまう。休むにあたり作成したいと思っている引継ぎ資料も頭の中にアイディアはあるものの手が回らないし、会社の制度その他を調べる余裕もない。時間だけが容赦なく過ぎていく日々にやや焦り気味。本当は自分の今の仕事の棚卸をするいい機会なんだけど。とにかく3月中旬までに整理して、残りの期間で引き継ぎや調整を行うつもりだけど、うまくやり遂げられるか心配。
相手にとってネガティブなことを伝えなければならないのは誰しも気が進まないものだが、仕事ではそういう状況は珍しくない。得てして曖昧な表現になりがちで、結果として相手にその真意が伝わっていないシーンを目にするし、自分だって同じようなことをしているに違いない。このところ、相手にとってたとえ耳が痛いことでも、責任をもってきちんと伝えることが「本当のやさしさ」だと感じるような出来事がいくつかあった。その時は曖昧な表現で穏便に切り抜けたとしてもそのツケはいつか必ずやってくるし、最悪の場合はさらに悪化した状態で本人に返っていくもの…
伝えるべきことがある時は、その時を逃さず覚悟し誠意をもって伝えるしかないのだ。
赤ちゃんが無事誕生し、産休生活も折り返し地点に。
これまで「お産」のプロセスや痛みなどは想像の域を超えていなかったが、今回経験してみて身にしみてその大変さがわかった。予定日を10日過ぎ、誘発剤による自然分娩を丸2日試みたが赤ちゃんにストレスがかかってしまい、結果的には緊急帝王切開での出産となった。2日間の陣痛はかなり苦しく(薬で起こしているせいなのか、陣痛に合間がなかった)、分娩室ではエンヤのCDが流れていたが癒し効果もなく、最後のほうは言葉も発することができないほど消耗しきっていた。「食べないとお産が進まないから!」と言われバナナやおにぎりを口に入れられたけど、それもかなり苦しかった。だから、先生が「緊急カイザーに変更!」と周囲に指示を出し、周り中があわただしくなってオペ室に運ばれても、意識がやや朦朧としていたのであまり怖い気持ちにはならなかった。赤ちゃんは生まれてすぐ ICU へ、私は続けてふたつの子宮筋腫の摘出手術に移った。腰椎麻酔だったので、内臓がぎゅうぎゅうひっぱられる感覚などがあり結構苦しかった。出てきた筋腫はさながらりんごとパパイヤほど(かなりの衝撃ビジュアル)。こんなに大きな筋腫があって、赤ちゃんはオナカの中で狭苦しかったかも。
手術での出血多量は、貯めてあった自己血輸血で乗り切った。麻酔がきれたらすごい痛み、でも母乳をあげなければならないので強い鎮痛剤は処方してもらえず…「時代劇で目にする療養所での手術って、こんなだったの?」。うなるほど痛かったので、個室にしておいて本当によかったと思った。
高齢初産にして、お産のフルコースを体験。新しい命を授かることは素晴らしいこと…でもかなりイタイ。そして、すべてに立ち会ってくれた夫は本当に大変でした。お疲れ様。
4月16日からの産休ライフに別れを告げ、ついに9月5日に職場復帰。ひさびさの会社って新鮮なんだろうな~と思って出社してみると全くそうではなかった。席替えがあって、人の配置が変わったのが最も大きな変化。確かに4ヶ月半でそう簡単に変わるはずもない(苦笑)。
朝、保育園に送り届け出社、退社後ヒールのない靴に履き替え早歩きでお迎え…かなりばたばた。いつもあわてている自分が情けない。「がさつな人間」への道を邁進中。もっと落ち着いて行動したいと思うけどなかなか余裕がない。さらに先週後半、「集団生活の洗礼」を早々と受けたベビーは熱を出し、保育園から呼び出し電話。タクシーを飛ばして迎えに行き、すぐに小児科を受診…
当分はあわただしい毎日になりそう。
すっかり産休前の気分に戻ったオフィスでの日々。いらいらなど「ストレスという名の毒素」もたまってきたかも。解毒しなくては。しかし授乳中ゆえ、アルコールでの解毒は禁物。
何がいらいらを招くのか…その原因は時間をかけてる割には物事が進まないこと。なぜ進まないか…決めないから次のステップに行けない。以前「経営は実行」というラム・チャランの著書を読んだことがあったが、いくらいいアイディアでも実行しなければ意味がない。実行するためには数々のディシジョンが必要だ。私が決めていいなら(いいわけないが)、どんどん決めちゃうのに。
あの「リーマン破綻」に端を発し、バブルがはじけた。株は暴落し、為替は不安定。マスコミは毎日何度も1929年の大恐慌を持ち出し、市場の不安をあおっている。彼らは世の中を不景気にしたいのだろうか。いろいろな人が「ああでもない」、「こうでもない」と責任のないコメントで評論しているのを聞くのはもううんざり…バブルのことを悪の根源のように非難するけど、きっと自分だって多少は恩恵にあずかったに違いないと思っちゃう。
今日一部のアジア市場では、反発して株価を戻したそうで、明日の連休明けの市場の動きがどうなるかといったところ。長期での運用ならば今は買い。
実り多い会議のためには、「立場・観点・ゴール」を認識しておくことがマスト。議論が進むうちに「何の立場で意見を述べているのか」混乱している姿を頻繁に目にする。そんな時はやんわりと軌道修正しなくちゃね。あらぬ方向に拡張した議論は、ただのおしゃべり会になっていってしまうから。たとえば「オレはこんな製品は買わない」というコメント。「オレ」は「果たしてその製品のメインターゲットの意見を代表しているのか」…なんてね。
育児との両立で限られた時間で仕事をこなさなければならなくなった今、「生産性の高い会議」について前より考えるようになった。それに会議はタダじゃない。偉い人が集えば集うほど1時間のお値段はかなり高いのだ。「生産性を高めるメソドロジーはないか」なんて悩むより、会議室の入り口にぶたちゃんの貯金箱でも置こうか。自分の時給をちゃりん♪といれて会議に臨めばおのずとコスト意識が身につくかもね。
マネジメント研修で知った「カマス理論」。アカデミックな用語では「学習性無力感」と言うそうだ。水槽に餌をいれ、ガラス板で仕切った反対側にカマスをいれる。カマスは餌を食べようと何度もトライするがガラス板に阻まれているため、どんなに頑張っても目的は達成できない。そのうちにさすがのカマスも諦めてしまう。その後、ガラス板を外しても諦めることを覚えたカマスは餌を捕りに行かないそうだ。
頑張っても権限外のことで徒労に終わることばかりの今日この頃。このままだとカマスになってしまいそう。言われたことだけ「ハイ」と言って無難に片付ける「枯れたサラリ~マン」になるべきなのか。自分の性格からいって、たぶん「ムリ」。自分の気持ちにどう折り合いをつけたらいいものか…わからなくて疲れたのでとりあえずワインを買って帰った。
今年は4月中旬から9月頭まで産休を取得したせいか、あっという間の1年だったような…終わってみれば復帰後は多忙な毎日。ランチタイムもままならず。でも仕方のないこと。私の24時間のうち会社で過ごせる時間は決まってしまっているから。集中力は産前よりも上がったけれど、頭を使って考える時間が取れないこと、自分へのインプットの時間が取れないことがちょっとストレス。「何事もカラダが資本だから、無理はいけない」と思うけど、しばらくの間はやむなし。
来年は荒天さなかの幕開け。どうなることやら。
100年に一度の不景気といわれる昨今、やっぱり景気はよくない。でも、儲かっている人はどこかに必ずいるし、そういう人たちは口をつぐんでいる。そして「みんなが業績悪いからこのどさくさにまぎれて…」とこれまでの不良債権の処理や赤字事業の撤退など進めている企業も多いに違いない。
毎週送られてくる東洋経済は「総崩れ」とか「崩壊」とか「崖っぷち」とか、まるで「東スポ」のような見出しには深刻さを通り越して笑ってしまう。メディアの皆さんは不景気を煽ってどうするつもりなのか。
復帰してからというもの、自分の身体をいたわる余裕がないのと慢性的な睡眠不足のせいで風邪をひきやすくなった。つい先日はインフルエンザではないのに40度近い高熱が出て、眼球や歯まで痛くなった(虫歯はないのに)。きっと、ひさびさに本格的に心が折れそうになることがあったせいだろう。停滞していた仕事が少し進めそうな雰囲気になってきたかと思ったところで、まったく予想外な出来事が…かなり疲労困憊。「病は気から」。気をつけなくちゃ。
最近組織が変わった。「組織って目に見えないけれど、人の心を操る力が強いらしい」と気づかされる日々。これまで気づかなかった面に気づき、驚きとストレスの連続。平穏すぎる仕事ライフもいまひとつだけれど、人間模様が激しい仕事ライフは本当に心が擦り減るばかり。
昨年、緊急帝王切開で開腹手術をしたというのに今年もまた開腹手術。もちろん病気を治すため。8月4日(火)11時半から16時。予想外の大手術+出血多量となり、かなりつらかった。そしてやっぱり怖いもの。
一方仕事は、会社の夏季休業にひっかけて8日間のお休みをいただくことに。ワークディで8日間なら「ちょっとした出張で不在」くらいの日数なのにお休みに入る直前は嵐のような日々。「手術に向けて体調を整えて、入院の準備をして…」と思っていたけど、そんなことは許されないスケジュール。そう言えば、7月中旬に風邪をひいたが、休めず多忙にしていたらちっとも治らないどころか気管支炎になってしまったし。
でもきっと、毎度こんな状況だから大きな病気をするのに違いない。下期の目標は「何事もほどほどに。自分の身体は自分で守ろう」。
忙しくてへとへと。ランチ時間もままならない日々。結果として生産性の向上に結び付いているのだろうか…甚だ疑問。時には「やらなくてもいいこと」を決めてもいいかも。Time is money.
昨年のことを振り返る間もなく、仕事始めを迎えた。8月の手術以降、「限界」って思いながら、仕事をしていた日々。人間ドックの結果を聞いて、やっぱり身体は正直だと思った。自信があった胃袋が病んでいた。おまけに「ピロリ菌」も住んでいた。
今年はどんな1年になるのか…きっとストレスは減らない。バランス感覚を取り戻して、なんとか健康になりたい。昔は丈夫なことが自慢だったのに、そろそろ無理がきかない年齢になって来たのか。
ず~っとアウトプットばかり。バランス悪すぎ。1月後半、ちょっと精神的にまずいかなというくらい疲弊した。週に何度も3時間睡眠じゃね。1日24時間というのはみな平等だけど、その限られた時間の中で三役してるから仕方ない。
仕事しかしてないオジサンはラクでいいな。「ストレスだ」とか「大変だ」とかなんとかおっしゃる方も多いけれど、とにかく仕事だけすればよいのだもの…なんて思ってしまう自分は本気で疲れているに違いない。
とにかく忙しいっていうか時間が足りない。本当に疲労マックス。いつまでこの状態が続くのか、出口が見えない。毎日パソコンや書類を持ち歩いて、気づけば肩に内出血の跡が。
「お子さんがいてたいへんですね」と時折言われるが、このひと言でさらに疲労が増す。なぜなら、単に産休前と比較しても仕事量やその難易度、責任範囲が増しているせいで忙しくなっているだけだから。子育ての両立で忙しい、ってことにしたいのかもしれないが。
育児との両立を経験したことない、家事をやらない、仕事を手伝ってくれるわけでもない人々には「たいへんですね」とか言って欲しくない、と思っちゃう。そのくらい、今は自分の気持ちに余裕がない。
東大iSchool のシンポジウムがあり、仕事の関係で参加。イノベーションを起こすためにデザインの力を使うこと。それを切り口にマネジメントの側面からスピーチとパネルが行われた。課題の分析はどれも納得のいくものばかり。言い方を変えれば、新しい分析はないということ。つまり、課題はずっと前から見えていて、解決するのが困難ということの表れだ。ラム・チャランの著書に「経営は実行」というタイトルのものがあるが、まさに実行できなければ問題解決にはならない。とにかく変革するのは難しいのだ。
赤門横の八重桜は満開。